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■マイナンバー・カードで、15000円分のポイント [社会]

マイナンバー・カードの第二弾が始まってます。

これは、マイナンバー・カードを、「保険証と共用」したり、「給付金等の受け取り銀行口座との連携」を設定した場合、15000ポイントを受け取れるというものです。

よく、「政府に個人情報が捕まれる」という理由から、ためらわれることもあります。

そもそも、クレジット・カードなどを利用していたり、グーグルやアップルのスマホを利用している時点で、個人情報は、誰かに筒抜けです。

政府機関や税務署も、その気になれば、個人の銀行口座情報にもアクセスできるでしょう。(公式には、できないことになってますが)

ならば、ポイントを得る方が、現実的です。

では、その手続きの解説動画を紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=yiusJPEPWuM
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借金の恐ろしさ [社会]

たいていのトラブルや不具合は、放っておけば、なんとかなっちゃう。

友人知人の貸し借りも、放っておけば、自然消滅する。 

ところが、金融機関、消費者金融、カード会社(貸金業)などからの借金は、放っておくと、どんどん増える。

 これが恐ろしい。大抵の日常の問題は、放っておけば、何とかなるのに、借金だけは、時の経過とともに、それだけで、利息が増えて債務はどんどん増えていく。

年収が2千万あろうが、それはP/L(損益計算書)の話しであって、いつ病気になっても働けなくなっても、借金があれば、タワーマンションのローンの支払い返済が滞る。

つまり、ローンでマンションを買ったような場合、膨大な利息を払いながら、資産価値はたいてい減っていく。上げったとしても、ただ住み続けるだけでは、何のメリットもない。マンションの場合、修繕費など更にお金がかかる。

これに反して、ローンを終えた土地付き一戸建てに住む場合、固定資産税と建物修繕費さえ払えれば、とりあえず住むところがなくなる心配はない。土地は地価に左右されるが、土地担保で借金したりせず、その土地に住み続けるなら問題ない。

つまりは、住宅ローンを抱える人などは、一度、貸借対照表(バランスシートB/S)を作ってみる必要があると思う。


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わざと知らない主義 [社会]

私はよく「もの知り」だと言われるんだが、実は、興味のない分野については、わざと全然しらない風に努めている。

まず、野球。数日前の甲子園の決勝戦の日、対戦相手の高校名を、両方とも知らなかった。そればかりか、その日が甲子園の決勝だというのも、知らなかった。

プロ野球に至っては、現役選手の名前を、一人も言えない。「優勝」の意味が解ってないし、「優勝」の球団が、いつ、どのように決まるのかも解ってない。

次に、サッカーだ。これも、J-リーグのチームの名前をひとつも言えないし、所属選手の名前を一人も言えない。

極めつけはオリンピック。東京であっても、興味ない。非国民と呼ばれても仕方がないけど、誰がメダルを取ろうが、まったくどうでもいい。

このように、興味ない分野の事は、わざと情報を入れずに、なにも知らないことを目指して、ニュースなどのザッピングに気を付けている。

ただの偏屈者なのだが、こんなヤツもいるんだと、世の中の人の多様性を理解して欲しい。


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母校敗退 [社会]

先日の高校野球西東京大会で、ベスト8まで行った私の母校、都立国分寺高校が、敗退した。でもさ、都立でベスト8まで行けたのはエライと思う。誉めてあげたい。

もう一つの西東京大会でいつも優勝候補の、私の母校大学の親戚的な早稲田実業も、ベスト8で敗退してしまった。私は応援する高校が、西東京で2つある訳だが、両方とも負けてしまったわけだ。

実は私は、野球にまったく興味がない。それでもやっぱり、母校関係となると、動向が気になる訳だ。中でも都立国分寺高校は、ベスト8になっただけでも、友人たちは興奮していた。

野球部出身の奴は、えらい勢いでベスト4目指して応援していた。それでも、わが母校の硬式野球部は、ずいぶん強くなったなぁー。


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死刑制度 [社会]

私は、基本的に死刑制度に反対だ。

一人の犯罪者の命を、奪うか温存するか。

人間の命の存続と滅却の境界線、つまりは死刑判決なんだが、この境界線を、人間がどういう基準で合理的に判断できるというのか。

そんなことは神でも決められない。

女子供を殺戮して比叡山の僧侶たちも殺戮した織田信長は、今では英雄だ。

人の命を奪うことに、その可否に、人間が介入していいものか。

時代背景や怨恨の度合い、いろいろ判断基準は作れるだろうが、やはり人間が人間を殺す(死刑)ときに、その責めを決める客観的で合理的な理由は、あり得ないと思う。


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